2 猫の中国から日本への伝入
猫がペットとして日本人に愛されることは皆に知れ渡っていたが、日本の猫の歴史についてよくわかる人が少ない。猫はよく見られた家畜の一種として、どの国でもそれを飼っている。しかしなぜ日本では猫に関するものは文化の領域まで発展してきたかという問題を解決するために猫の起源と文化の背景を深く研究する必要がある。
『广辞苑』の記載によれば、一万年ほど昔の日本には、猫が存在していなかった。奈良時期に至るまで猫の姿がはじめに日本に出現した。 しかし、猫の起源を研究する前に当時の日本環境を了解する必要がある。日本は周知のように大陸から切り離された島国で、国土面積はそもそもほかの国より小さくて、それに三分の一の国土は山地に覆われる。だから、人口の密度が非常に高くて、土地も非常に少ない。それに加えて、当時の耕作技術は先進的ではなくて、収穫した農作物は多くなかった。しかし、そのとき、鼠が多すぎて災害となった。食糧ばかりでなく、書物、布団など多くものが鼠に食われてしまった。日本人は心を悩ませていたが、手の施しようがない。
『广辞苑』の記載によると、奈良時代ごろに日本の猫は中国から伝わったということであた。最古の日本語の文書である『日本霊異記』には『唐土渡来の黑猫』との断り書きがある。 猫は鼠の天敵であるから、仏教の大事な書物と大量の食糧を鼠から守って、稲作りの日本民族に愛された。鼠が大変な醜い動物だと日本人はそう思っていたから、猫は人類の代わりに鼠を捕まえることができて、人類に高く評価されている動物になるのは理の当然だ。猫がはじめて日本に出現した奈良のとき、皇室や貴族などの人は飼うことができるし、普通な人はぜんぜん手に入れないということである。鼠を駆除することができて鼠の災害を防止られることによって神聖なものと見なされた。高い社会地位を持っていた人だけは飼うことができる状態から猫の珍しさがはっきり見られる。
日本の平安時代には位階を授けられた猫もいた。それは『枕草子』や『源氏物语』に登場して、宇多天皇の『宽平御記』による黒猫の飼育日記である。 『枕草子』によると、一条天皇も非常に猫を愛していたから、好きな猫に『命婦の大臣』 と名づけ位階を与えていた。しかも、平安時代にはさまざまな和歌や物語における猫の姿を見られて、猫は人類に親しまれていたことがわかる。
明治時期に至って猫は日本全国に普及した。猫の数は多くなって、日本人は猫を飼う熱情も高ぶるものである。猫を失わないために首輪をつけて猫に対する感情はトップに上昇した。
3 文学作品における猫
3.1民話伝説の中の猫
民話という意は、民衆の中から生まれ、民衆の生活、感情を反映して語り伝えられてきた話である。民話伝説は民族文化の重要な部分として人々の思想や願いや感情などを託している。日本の猫文化を研究するために、今まで日本に伝わってきた民話伝説を研究必要がある。長い歴史の中で、社会環境や歴史背景は絶え間なく変化して、それにしたがって、民族の心理の変化も大きい。日本においては、猫に関する民話伝説はかなり豊富である。その中には、悪役としての猫もいるが、恩返しの猫もいた。
昔、猫は中国から日本に伝わったばかりのころは、中国の猫鬼の伝説も日本に伝わって、猫は不吉な象徴と見られた。中国では、人々は猫に対する恐怖感があった。なぜかというと、猫の瞳は光線の変化によって変わるから、人々に神秘感や恐怖感を与えている。そして、民間では猫が妖怪に変わるという伝説が多い。猫に霊性を与えると同時に、妖怪と見られてしまった。たとえば、昔日本では、『猫股』や『猫又』という話があって、猫は長年を経ると尾が二股に分かれていて霊力を持って、人間の言葉を話すし、人間に変えて人々を食うものであた。 日语论文论日本人的爱猫情结(2):http://www.751com.cn/yingyu/lunwen_16403.html