言語の発展の過程で、諺が姿を現したことは人類の生活と文化とも密接な関係がある。諺は人類の歴史と文化の現れのひとつである。そのため、もしある国の民族文化と民族性を深く理解しようとすれば、その国の諺を研究するのは一つの良い方法だと思う。言語は人と人の交流のために作られたものである。諺は言語の中にもっとも優れているところで文化は自然に毎日の生活の中に使われた諺からも見えてくると思う。
1.1 研究の目的と意義
異文化コミュニケーションは言語面にお互いに理解することだけではなく、文化面にお互いに理解することだと思う。日本語学習者として、日本を理解するには、日本語を勉強するだけではなく、更に言葉を通じ、その隠れている民族文化を研究すべきだと思う。ルーズ・ベネディクトの『菊と刀』の中に日本の文化は「恥の文化」だと言われた。その後、「恥の文化」についての研究は非常に多かったである。多くの学者が様々な角度から「恥の文化」を真剣に研究し、「恥の文化」は日本人の生き方を指導する文化だと見出した。日本は「恥の文化」を持っている民族であることはすでに常識になっていると思う。否めようとする方もいるところが、日本人の様々な表現から見ると、これはすでに否めようとも否めないことになる。国民の言葉によると、その国の文化はどのような文化を見出すことができる。特に、日常生活の中から生まれ、民衆の知恵の結晶として使われてきた諺はよくその民族の文化を表す。すなわち、日本の「恥の文化」は諺の中に現れていると思う。そのため、「恥の文化」を表す日本の諺を研究することは、日本は「恥の文化」を持つ民族だということを理解し、「恥の文化」の影響で日本人の考え方と生き方を理解し、そして日本語学習者の異文化コミュニケーション能力を高めることにも役立つと思う。
1.2 先行研究
第二次世界大戦後、ルーズ・ベネディクトは日本を研究し、その研究に基づいて書いた『菊と刀』の中で「恥の文化」という概念を出した。その後、日本国内外の学術界では、学者がそれぞれの立場で「恥の文化」を中心に研究、検討していた。周志柏と張雪玉は『日本の恥の文化について』という論文で、恥の文化の源と現象及びデメリットを論じた。康有金と胡園は『「武士の一分」から見た日本の「恥の文化」』という論文で、『武士の一分』という映画を分析することを通し、「恥の文化」は日本社会に大きいな影響を与えたのを論じた。今日まで、日本の学術界、ひいては全世界の学術界で、日本は「恥の文化」をもっている民族であることはすでに認められている。しかし、「恥の文化」を研究した先行研究の中には諺があまり触れられていない。
日本の学者穴田義孝は『諺を学ぶ入門書』の中に「諺を通して人間性を証明することができ、倫理とか、道徳とか、国民性などが見える。」と指摘した。諺を研究した諸論文の中には日本人の国民性及び民族文化についてのことが多くある。賴晶玲は研究論文『日本語諺から見られる日本国民の性格』で、日本語の諺に現れている日本人の民族の特性を論じたことがある。李鋒伝は『日本語の諺から見られる人間の国民性』にも、日本語の諺を理解する上で日本人の特徴を分析してくれた。ただ私の国だけで、それと関係がある研究がたくさんある。しかし、諺の研究に直接的に恥と関係のある諺から日本の「恥の文化」の研究も少ないと思う。そのため、本論文は両者を結び、諺の角度から「恥の文化」を分析したいと思う。 从日语谚语看日本耻文化(2):http://www.751com.cn/riyu/lunwen_56046.html