2.推理小説の紹介
2.1発展の歴史
世界探偵小説の歴史は1841年米文壇の鬼才エドガー・アラン・ボー(1809-49)がフィラデルフィァのグレイァム誌Graham's Magazine四月号に発表した「モルグ街の殺人」をもって華々しく始めた。それから1886年にコナンドイルが「緋色の研究」という中篇作品を提出するまでの40年間、このジャンルはゆっくり進んでいた。シャーロック・ホームズの厳密的な演繹の推理方法が跡継ぎの者のモダルになって、賢い探偵役と凡庸な助手との組み合わせはシャーロック・ホームズシリーズ以後、多くの推理小説に踏襲された。その後、ギルバート・ケイス・チェスタトンが描いたブラウン神父やジャック・ヒース・フットレルが描いた「思考機械」の別名を持つ名探偵オーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授が次々と現れた。彼らはすべてコナンドイルの信徒であるが、単なる踏襲あるいは模倣ではなく、特有のスタイルをやしなって、思考能力を最高まで演繹させた。それはいわゆる短編黄金時代である。20世紀の二十代から四十代ごろまでは古典揭秘時代と認められる。この時代には推理小説界の女王と呼ばれるアガサ・クリスティとエラリー・クイーンが活躍していた。欧米の推理小説は古典揭秘時代以降、犯罪小説に偏っていく。古典揭秘はもはや推理小説界から落ちた。
ところが、近代において、世界的に文化に大きな変化が発生したことは言うまでもない。この変化の一部分として推理小説界も大きく変わった。この変化は19世紀より西洋から始まったが、20世紀初頭前後、アジアに波及した。推理小説は欧米推理界の全体的な下落のゆえに没落すべく運命であるが、洋の向こうの日本推理小説の誕生で再び生きてきた。黒岩涙香が推理小説を日本に持ち込んである。1920年代は日本にとって探偵小説の発展を考える上で非常に重要な時期である。探偵小説の発展に大きな役割を果たした「新青年」の創刊と江戸川乱歩の登場があるからである。ある意において、日本も正式的に探偵小説の本土化が望める時代になった。江戸川乱歩をへて、甲賀三郎によって日本は本格ミステリ和変格推理小説時代に入った。本格推理小説は理性思惟に注目して謎を少しずづ解決すべきであると江戸川乱歩に定義された。変格推理小説は逆で、風変わりやファンタジー、罪、ミステリーなどがあって、変態な心理まで含んでいる。当時戦後の推理小説界は主に「本格派」と「変格派」と「高級探偵小説」三つの流派に統治されていた。変格推理小説が一時的にはやっていて、推理小説の基本の論理もつぶれる傾向がある背景に、江戸川は論理を強化しようとした。であるが現実の創作で、論理中心の本格が巧みの犯罪穴のデザインに駆け込んで、推理小説がゲームになった。三つ目の「高級探偵小説」が木木高太郎に主張され、探偵、科学、歴史、思想など全部推理小説に入れるのは主旨である。であるが、これで推理小説も以上のタイプに溶けてオリジナル性がなくなる恐れがあると江戸川乱歩は反対した。争論が起こった。その後、名探偵金田一耕助も横溝正史に作られた。戦前の日本探偵小説の多くは単なるショッキングや不思議、ファンタジーなど思想の低いものに夢中になった。社会的政治的の意も足りないし、文学としての地位も高くない。
ところが、戦後になったら、日本の推理小説は内容が多くの面に広がって、意も日々深まる。日本経済の回復につれて各社会矛盾も酷くなってきたので、1957年に松本清張の「点と線」の発表をきっかけに社会派推理が登場し、戦後大衆文学の重要な部分になった。20世紀80年代までの30年間の中で社会問題と人性の複雑性を探究する推理小説が主流であるった。松本清張や森村誠一が「砂器」、「人性の証明」などの傑作を創作した。数多くの探偵作家の努力で日本の推理小説は文化感覚も文章形式も自分の特徴を養った。続いて、社会派推理小説が優勢であるったミステリー界に島田荘司は「新本格」推理のジャンルをもたらし、綾辻行人、歌野晶午らが世に出て、1980年代後半からのミステリー隆盛に繋がる流れを作った。90年代になってからの推理小説に推理要素が含まれるが、主要ではなく、ほかの者と組み合わせる。 日语论文从日本推理小说中看人性(2):http://www.751com.cn/yingyu/lunwen_23791.html