小論に利用されたのは比較文学におけるイメージ論という研究方法である。イメージ論は、19世紀に提起され、比較文学の学科の一つであり、主に一国の文学における異国イメージを研究する方法論である。
本論は三章に分けて作成した。
第一章は明治蘇州見聞録の創作背景及び解題である。日清戦争以降、様々な動機と目的を持ち、様々な日本人が中国旅行の旅に立ち始めた。中国旅行活動の目的に基づき、蘇州への時間の順で旅の時間、旅の目的、旅の範囲などを紹介する。
第二章は明治中国見聞録における蘇州像である。明治中国見聞録における蘇州に関する内容を分析し、日本人の視点から清末の蘇州都市の空間を構築し、山川名勝、風俗人情、商業物産などの蘇州のイメージを表現し、更に見聞録における清末の蘇州社会人文を検討し、その時期蘇州のイメージを求める。
第三章は明治日本の清末中国観である。論述した部分は、その時期、その目から窺った蘇州の風貌によって、明治日本人の「中国観」を分析する。
小論は明治見聞録視点から明治中国見聞録における蘇州像を考察しようと思う。このうえに、近代日本人の中国観および中国の変遷状況を分析して、中国像研究に新たな視点が発見できると思う。
第一章 明治蘇州見聞録の創作背景及び解題
1.1明治蘇州見聞録の創作背景
近代において中日両国の正式的外交は19世紀70年代に始まった。欧米の文化が東方へ伝来したことによって、東洋文明と西洋文明の交流と融合が引き起こされるようになった。中国では洋務運動が行なわれ、日本では明治維新が展開されるとともに、大規模で海外への拡張が始まった。1870年,設立直後の明治新政府はすぐに外交代表を中国に派遣して、清朝政府と通商の契約を締結したり、外交関係を確立したりするように遊説した。翌年、両国の代表は最後に天津で『日清修好条規』や通商規約を調印して、互いに領事館を設立することや商民往来貿易などを許可するように約束した。
『日清修好条規』と『下関条約』の締結は清末日中関係の発展の傾向を示した。条約の締結に伴って、日中両国間の交流がますます盛んになった。日清戦争以降、様々な動機と目的を持ち、様々な日本人が中国旅行の旅に立ち始めた。国策に基づき、中国人により、日本人は交流の初めから異常に積極的に、中国に来る日本官民、組織や個人も増えてきている。目的は観光旅行、情報収集、勉強や仕事など、いろいろある。日本の官員と民衆たちは中国に来て、中国人が残した多くの「日本見聞録」と同じく、多くの中国見聞録を残した。その中のいくつかを組織または個人は自らの所見所思を日記、旅行記、ノート、報告書、調査書、復命書、地誌、詩文などの形で記し、これらを見聞録総称する。
もちろんこれらの旅行記に、ある内容は淺く、主観的な判断もあった。ある甚だしきには作者は眼鏡を持って中国を見て、偏見と誤謬が多い。ただし、その中には価値あるものがたくさんある。清末中国について詳しく描いた内容のみならず、主観的な判断もあった。たくさん見聞録には作者の至る所の山川景物、風俗民情および産物などを詳しく描かれているばかりでなく、また、有名な人士を表敬した逸話も記録している。非常に高い史料価値があると思う 明治中国见闻录所见苏州(2):http://www.751com.cn/riyu/lunwen_47525.html