芥川龍之介とほぼ同時に、中国では魯迅が代表的な作家と革命者として、「狂人日記」、「故郷」、「孔乙己」、「阿Q正伝」などの作品を出し、中国の白話文運動を展開した。そして、現代中国語の発展を推進した。
魯迅は日本で留学したことがあるため、日本文学の影響を深く受けている。1921年に魯迅は初めに芥川龍之介の「鼻」、「羅生門」を翻訳した。芥川龍之介も翻訳された自分の小説について魯迅に好評を与えた。王向遠は「魯迅と芥川龍之介、菊池寛の古典物創作比較論」 の中で、魯迅の古典物が芥川龍之介と菊池寛から何らかの影響を受けた可能性も十分に考えられるという結論をした。具体的な作品から見ると、二人の作品には似ているところが多い。
先行研究にはほとんどは芥川龍之介と魯迅の作品の中にある心理描と創造風格の相違点について分析した。例えば、王颖の「魯迅と芥川龍之介の文学創作風格との比較研究―『狂人日記』と『羅生門』を例にして」と王丽丽、宁写翠玲、陈谦倩の「芥川龍之介と魯迅の作品特徴の比較―『鼻』と『孔乙己』を中心に」などである。 しかし、これまでの先行研究の中に、人間性を中心にするものが少ない。特に「鼻」と「孔乙己」二つの作品に対する比較研究が非常に少ない。
芥川龍之介の作品にある「人間性」について、吉田精一は「古代人と近代人が共有している人間性のことをしっかり把握し、古代人の心理を現代で解釈する」と評している。魯迅も小説に描写される人間性で好評されている。芥川龍之介の「鼻」と魯迅の「孔乙己」二つとも短編小説であるが、短い文章の中に社会の暗闇と人間の醜悪を暴露している。しかし、先行研究には特に「鼻」と「孔乙己」二つの作品に対する比較研究が非常に少ない。
本稿は二人にある時代背景と各自の人生経験に基づいて、芥川龍之介の「鼻」と魯迅の「孔乙己」を例として、作品から出てきた人の人間性を中心に比較する。二人の個性体験からもたらす文学作品の影響について論じる。
第一章 作者の生い立ちと小説のあらすじ
1.1芥川龍之介と魯迅との生い立ち
芥川龍之介は明治二十五年(1892年)に東京で新原敏三弄の長男として生まれた。父は新宿の郊外で牛乳工場を持っていた。生後まもなく母が発狂したため、芥川龍之介は母の実兄の養子になった。芥川家は代々幕府のお数寄屋坊主をつとめ、文化の雰囲気にあふれた大きな家族である。そういう家庭の環境のおかげで、芥川龍之介は小さい頃から漢文学と日本文学に触れて、そして欧米の文学にも大きな興を持っていた。たくさんの文学作品を読んだ。これは芥川龍之介の人生に大きな影響を与えたと思われる。しかし、母の発狂という事実は彼の一生に暗い影を投げて、芥川龍之介の晩年の自殺の原因の一つになると思っている。失恋などの種種のせいで、芥川は人生の苦しみをしみじみわって、厭世主義が出ていると見ることができる。
魯迅は1881年紹興で生まれた。魯迅の原名は周樹人で、子ともの頃ずっと豊かな暮らしをしていて、六歳から本を読み始めた。しかし、十三歳の時に、家が落ちぶれた。生活の激変が少年の魯迅に大きな影響を与えた。父の病気で彼は早々に人生の難しさと世間の冷たさを感じた。彼は『呐喊』の序言にこういった。「有谁从小康人家而坠入困顿的么,我以为在这途中,大概可以看见世人的真面目」(訳文:ある程度楽な暮らしをしていた人が、急にどん底生活に落ちたとすれば、きっとその間に世の偽らぬ姿が見えるだろうと私は思う)。一九○二年、二十一歳の魯迅は日本へ留学にいった。日本で近代の西洋知識を学んで、目にする世界が広がったので、当時の国民の精神を変えるために、医学から文学へ転身した。
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