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     日本の男性の着物姿は、ほとんど珍しい。自身の結婚式、特別な場合を外して,ほとんどは正式な服装として着る。また、男性は未婚、既婚をとわず、より正式には羽織を着る。
     着物は日本の伝統的な服装で、高い芸術性と独特なデザインで世界的に有名だ。それは、中国の唐の服装をもとにして、1000年余りの変遷を得て形成された。日本の伝統文化のひとつとしての着物の悠久の歴史を見て、それは日本人の生活と密接な関係がる。長い歳月の中で、着物は何度もの変化を経て、最後に今の形になった。それは服装だけではなく、さらに日本人の感情と労働の結晶である。
     このような着物、日本国民だけではなく、全世界の民族はそれを尊重して愛護するべきだ。だから私は今回の論文を書く機会を利用して、着物に対する研究と探求を通じて、日本人の美意識をはっきり了解したいのだ。そのほか、私は自分の論文を通じて、多くの人に着物の美しさを知らせると思いたい。
     着物について、多くの先輩が研究した。たとえば、山東大学の周暁飛である。彼の論文「着物に見る日本人の美意識--家紋を中心に」から、いろいろな知識を受取る。私は周暁飛先輩に非常に感謝した。
     本論文は三つの部分からなっている。序論では研究の意と背景、先行論文、研究の目的を述べる。本論の第一章においては着物の起源、発展を述べる。第二章では着物の種類と紋様を述べる。第三章では着物の着方と礼儀を述べる。第四章では着物から見ての、日本人の美意識を分析する。
     第一章 着物の起源、発展
      世界で各民族衣装は、その発生と発展の歴史の過程で、多かれ少なかれの変化が起きた。その中で、日本の着物の変化は最も激しい。
      日本人の一番古い服は弥生時代の服である。「魏誌・倭人伝」 によって、当時の日本の男性が着ていたのは「横断幕」 と言った。女性が着ていたのは「貫頭衣」 と言った。しかし、5、6世紀のころから、日本人の服は上下を分離して、男子はズボンと襟がある上着を着て、女子がスカートと袖がある上着を着る。
      7世紀以来、中国の隋、唐の文化が入るのに従って、日本人は以前の衣服をすべて捨て、唐の衣服を着た。
      7世紀末、日本の都が奈良から京都に移った後、日本は平安時代に入った。この時期、十二単 が発生した。
      中世に入った後、日本人は十二単に一連の変化を与えた。服の数量を減らしただけではなくて、更に服の長さと模様に巨大な変化を作り出した。このような変化で、近代的な着物の原形が発生した。
    1.1縄文時代と弥生時代
     縄文時代の文化財遺産を見ると、そのとき、大部分の日本人は上半身がハイネックの衣を着て、下半身が中国式のズボンを着ている。初期のアジア北部の遊牧民族の服装と似ている。
     弥生時代のとき、稲作技術が入って来るに従って、日本人はアジア南部の貫頭衣を導入した。 ただ、これらの衣服が水稲を栽培するのに適合せず、ゆえに日本人は彼らの知恵を発揮して、以前の服をもとにして改良し、小袖(小袖は、日本の伝統的衣装の一つ。現代日本で一般的に用いられている、着物の元となった衣類である。袖口の開きが大きく、袖丈一杯まで開いている袖の形状を、大袖と言うのに対し、「小袖」は袖口の開きが狭いことから付いた名称である 。)を発明した。
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