村上小説には猫イメージに目を配る先行研究について、日本では、1999年に西元淳子が村上春樹小説における動物イメージを考察する論文『村上春樹の紡ぐ世界:動物をキーワードにして』が発表され、近年でも柴田勝二『中上健次と村上春樹(2)<動物>を殺す話―『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』と六〇年代』、澤野達也『村上春樹作品における動物の役割』という論文がある。中国国内には、今まで村上小説における動物イメージを分析する文章は極めて少ないのである。本論は先人の研究成果を参照して、『海辺のカフカ』を中心にして、村上春樹小説における猫イメージを分析しようと思う。
第一章 村上春樹と『海浜のカフカ』
1.1村上春樹の生い立ち
村上春樹は現代の有名な作家である。1949年、村上春樹は京都府京都市伏見区に出生した。彼の父が私立甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居した。 また、両親は共に国語教師で、両親の影響を受けて読書家になった。西宮市立浜脇小学校入学、西宮市立香櫨園小学校卒業。 芦屋市立精道中学校から兵庫県立神戸高等学校に進む。一年の浪人生活の中で、1968年、村上春樹は早稲田大学第一文学部に入学して、演劇科へ進んだ。在学中は演劇博物館で映画の脚本を読んで映画脚本家を目指してシナリオを執筆などもしていたが、大学へはほとんど行かずに新宿でレコード屋のアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送った。1970年代、東京都千代田区水道橋にあったジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となった。1971年、高橋陽子と学生結婚して、一時文京区で寝具店を営む夫人の家に間借りした。在学中の1974年、国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。開店資金は500万円である。半分は夫婦でアルバイトをして貯めたお金で、残りは両方の親からの借金であった。1975年、7年間在学した早稲田大学を卒業した。卒業論文は「アメリカ映画における旅の系譜」でアメリカン・ニューシネマと『イージー・ライダー』を論じた。指導教授は印南高一(印南喬)。1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移した。
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