1.『地獄変』について 3
1.1 あらすじ 3
1.2芸術至上主義 4
2.人物像から見た美と醜 5
2.1良秀の性格と信念 5
2.2大殿の上辺と内心 8
2.3娘の滅び 9
3.内容から見た美と醜 11
3.1屏風絵の創作 11
3.2絵師の自殺 13
おわりに 16
参考文献 17
はじめに
ここでは、『地獄変』について、作品の内容を中心として考察することによって、この文から見る美と醜を明らかにしたいと思う。
1.問題意識
『地獄変』は、大正七年五月、大阪日日新聞に発表された作品である。それは、芥川竜之介自身が作家として創作の苦悩に直面し、芸術家として理想と覚悟を描いたと言われる。古典を題材にしているが、テーマは近代的であり、芥川自身が「単なる歴史小説」との区別を強調した 。ここでは、芸術家を活かさない社会的現実への抗議とともに、芸術至上主義的姿勢を描き出した。その小説を読む時、中に活躍している人物の喜びや悲しみのために嬉しがったり、悲しがったり、その中の個性鮮明な主人公が尊ぶ「醜いものの美しさ」 に引き込まれて、ついに、この小説の中の美や醜は何だろうかと思ったのである。
2.先行研究
従来、『地獄変』の主題については、多くの研究者によって、じゅうぶんに分析が加えられてきている。以前から芸術至上主義について、それを肯定し、否定する論点が数多くである。例えば、三好行雄、笹淵友一、石割透などは芸術ための犠牲を賛成したけれども、宮本顕治、吉田精一、勝倉壽一などは主人公が良心の呵責から自殺したと認識した。良秀の苦悩と運命は、作家芥川の芸術至上主義をめぐる問題意義と重ねて解釈され、正宗白鳥は「心血が燃えて」いる「最高傑作」と称讃した。 芸術と人間性は永遠な課題として今でも、前人の研究に基づいて、人物をめぐって深く、別の文学作品と比較し、細く理解し、考察して出来たことがある。それは、周喬の「芸術至上と人性」 、徐競の「芸術と道徳の衝突」 、張静の「芸術の法悦境」 、諸田京子や平野芳の説などもある。芸術至上という主題だけでなく、語り手の正体と身分に関する調査も少くない。清水さゆりの「『地獄変』試論」、山中正樹の「『地獄変』私論」などにはそれを詳しく分析し、相当な結果ができる。また、『地獄変』から作品と作者の繋がりを検討する広藤鈴子などから、芥川という作者に生活や感情を明らかにすることもある。その上、美学の面で『地獄変』によって文章の審美眼、美学の特色を示す報告がある。「美と醜の衝突」を示した羊艶 、「芥川早期小説の美学の特色」を検討した雷芳 、張永亮などはそれについていくつかの議論は勉強になれる。しかし、以上の研究は、ほとんど「芸術と人性」を中心にしていた。
最近、「美と醜」に気付いて新たな研究が始まったが、基本的に主人公だけを中心に論じていたのである。そして、角度が異なれば審美眼も異なるのではないかと思う。『地獄変』の美しいところと醜いところに関する諸問題を明らかにすることは、それに付随した問題、例えば作中の人物が表現した人性の輝きと闇、良秀と大殿と認める美の区別というテーマ論も含めての幅広い考察の手がかりとなるのではないかと思えるのだが、余り重要視された跡はうかがえないものに終わっているようである。いままでの研究を勉強して独りの人物だけでなく、他の人物、物語の筋など別の面から考えてみるつもりである。