1.1 格安航空券とは
1980年代後半の旅行業界の海外旅行の主役は、団体旅行とパッケージツアーであった。そんな時代に団体旅行用の航空券(GIT運賃)を、あえて一般の旅行者にばら売りしたものを「格安航空券」という。その時期、国際線のIIT運賃のうち、8名以上、10名以上などに適用される運賃をGIT運賃といい、人数の制限なく一名から適用される個人用運賃をIIT運賃という。当時は、航空券規制が厳しく、GIT運賃とIIT運賃の最低販売価格(MTP)制度があった。(注1)
1.2 格安ツアーとは
格安ツアーは、激しい価格競争の産物である。もちろん、旅行代金が安いからにはわけがある。一つは、ホテルのランクが低いだけではなく、市街地ではない郊外のホテルを利用している。また、航空運賃では、直行便より安い経由便を利用している。もう一つは旅行中に利益を増やす。例えば、土産物屋と提携してお土産やオプショナルツアーを売っている。
それに、航空会社と旅行会社との間で、半年ごとに送客目標を設定し、航空会社は送客実績に応じて旅行会社へ「キックバック」を支払う取り決めになっているケースが多い。このキックバックとは、販売手数料のコミッションとは違って、販売実績や目標の達成度合いに応じて支払われる販売報奨金のことである。この条件は通常、個別の交渉によって決定され、公開されていない。もし、目標まで若干名送客数が不足しそうなら、何としてでも目標人数まで集客してキックバックを受けなければならない。この場合は利益度外視のキャンペーン価格が設定されることになる。
1990年代ごろまでは、このような形の格安ツアーでの集客は、一定の利益を見込むことができていた。
1.3本稿の目的と方法
方法としてはH.I.Sの十年分の財務諸表の分析、営業戦略の変遷と事業拡大の角度から検討する。目的はH.I.Sの事業における問題点の分析を含め、なぜH.I.Sがそのような時代に格安航空券を提供できたのか、「格安ツアー」という戦略がH.I.Sの成長に果たした役割とその戦略の内面などを探求したい。そして、H.I.Sのような旅行業者の行く道と戦略をより深く理解することにも役立てたいと考える。
2.先行研究
2.1 H.I.Sの格安航空券について
H.I.Sの元社長澤田秀雄は、子供のころから旅行が好きであった。よく友達と一緒に自転車旅行を楽しんだり、列車で旅したりしていた。旧西ドイツのマインツ大学経済学部に遊学した澤田は授業を受けながら、日本人向けの通訳や観光ガイドのアルバイトをして生活費を稼いでいた。フランクフルトは欧州の交通の結節点であって、国際見本市や国際会議が頻繁に開かれ、日本人ビジネスマンの訪問も多かった。彼は、個人相手から、実入りのいい団体客向けのツアーを思い付いた。手作りの日本語のパンフレットをホテルで配ってもらい、宣伝した。この副業で得た資金を元手にアフリカ、アジア、アメリカ大陸など世界五十以上の国を回った。ドイツから帰国した時、手元には1000万円が残っていた。大卒初任給が10万円に満たなかった時代であった。澤田は普通のサラリーマン生活には目もくれず、自分の会社をおこすことを決めたのである。(注2)
1976年、日本に戻った澤田は東京の新宿で「秀インターナショナルサービス」を設立した。最初は毛皮の輸入販売を手がけたがあっけなく終わった。その1970年代の日本は航空運賃の規制のために、価格が高く、欧州旅行は往復で100万円近くかかっていた。しかし、ドイツ滞在のころ、格安航空券で方々に出かけた澤田は、この高い運賃を支払わせられる状況を不当だと感じた。(注3)源[自-751*`论/文'网·www.751com.cn/