靳風林の『論中国鬼文化の成因、特徴と社会作用』(中州学刊)の特徴は鬼文化の社会作用を述べたこと。この論文から、鬼文化は中国の伝統的な文化の重要な構成部分で、中国の経済、政治、思想、文化などの方面に巨大な影響を与えたことを知った。
私は中日鬼文化の各方面の比較を通じて、鬼文化は中日に与えた違う影響及び、その価値を討論する。それと、鬼文化に正しい態度を言明する。
2 鬼文化の表現の比較
2.1 文学作品中における鬼文化
昔から、鬼を題材にした作品と鬼に密接に関わりを持つ作品が増えつつあり、それらの作品が反映する鬼文化の意識はきっと最も直接で、最も正しくて、ある程度の社会学や民俗学の価値がある。中国では鬼に関する鬼文学作品が多く、例えば『洞冥記』、『霊鬼誌』、『鬼神伝』、『搜神記』、『聊斎志異』などがある。日本では、浅井了意の『伽婢子』(1666年)は一冊の多くの鬼の物語を収集した怪談集で、三遊亭円朝(芸名)が教壇に座って『牡丹燈篭』を話すときに勝手に言った話もそのまま記載した。ほかにも、9世紀の『日本霊異記』と12世紀の『今昔物語』は、大量な鬼に関する怪談が書かれている。
日本における鬼の伝説では、鬼は動物の特徴がある。人間に似ていて、牛の角と虎の牙があり、口は耳まで裂け、裸で、ただ虎の皮のふんどしを缔めている。人間を捕まえたらすぐ食うといって、無情、怪力、勇猛の象徴である。風神と雷神などの乱暴な神々もよく鬼の姿で現す。また、他人は関係なく、人を殺害したその犯人にしかそんな亡霊が見られない考えも、中国から深い影響を受けた。
中国では、動物の様子で現す鬼はめったに見られなくて、主に古典籍、あるいは西南部の少数民族の宗教資料に記載している。今が言う様々な鬼神のイメージは、おおかたが人の姿の変異で、ほとんどは人間のイメージを大幅に誇張するか縮小するか、例えば大頭鬼、小頭鬼などはこの変形の産物である。 その根本的な原因は、鬼神のイメージが動物より人に近いである。中国の鬼物語の中の鬼はもう完全に憎たらしい顔つきではなく、時にはきれいお嬢様に変身し、時には静かな田舎の若い婦人に変身し、要するに、最初に人を与える印象は悪くないが、その後のストーリーの発展、物語の突っ込むに伴い、怖いイメージを徐々に現れる。この時期の鬼は一途に人を食うではなく、逆に人と友達になり、或は夫婦になり、人と鬼が一緒に和やかな生活を過ごす画面も現れる。源]自=751-·论~文"网·www.751com.cn/
2.2 祝日中における鬼文化
中国と日本で、鬼と関係ある祝日は少なくない。次に、鬼節を前例として、民俗で中日鬼文化の異同を比較する。
中国の伝統文化の中で、大部分は鬼と関係がある。例えば、お正月は人々が祖先を家に迎えて年を過ごす祝日である。清明節は祖先を供養する祭りである。人々がなくなった親戚を祭り、墓に参りしたり供養の財物を焼いたりするため、旧暦7月15日の中元では中国人に「鬼節」とも呼ばれている。7月15日の鬼節は道教では「中元」と言って、仏教では「盂蘭節」と言う。意は同じで、全てが生き物に同情をかけて、花や果物や野菜などを使い、祖先を供養する祭りである。後人が祖先に祭るのは、迷信ではなく、人々が過去に対しての追思である。「鬼節」は伝統的な親孝行の心がけを現して、豊富な人文主義の内容も表現できる。