犬は、中国の歴史の上で、地位が卑しくて、社会への影響や役割も非常に小さい。それに対して、日本の歴史の上で、犬の地位がもっと高い。日本には、犬が人に親しく、猫は、家に親しいという観点がある。それに、民間にも、犬が、一日だけ飼ったにしても、その恩を3年まで忘れない。しかし、猫が3年飼ったにしても、その恩は一日忘れてしまうという説法もある。また、日本人は、犬が家に入るのが吉兆であると思うが、猫が家に入るのは凶兆であると思う。だから、昔、両国の犬文化には、大きな差が存在していると言える。しかし、近代、犬を親しい友達とする両国の民衆は多数を占める。そして、日本であれ、中国であれ、犬に関する映画もすくなくない。これらの映画から、両国が犬文化の差が発見できる。だから、これから、本論文は、主に、犬に関する映画を中心にして、中日両国が犬文化の区別を研究しようとする。
2 犬の伝説やイメージ
2.1 天狗の伝説
中国の伝説の中で、日食、月食という現象が出ると、人々は、それが天狗が月を食うということと思うため、怖くて鳴り物入りで爆竹を鳴らして天狗を追い払う。中国では、『山海経・西山経』は、初めて天狗を言及した書籍である。『山海経・西山経』の描きによって、天狗が山の野獣だとなされて、外形や声が野猫に似るが、頭が白くて、凶悪を避ける作用があるということ。また、中国の神話伝説の中でも、天狗に関する物語が現れた。例えば、乾宝の『捜神記』の中に、咆哮犬が一匹記載された。咆哮犬が、二郎神の神犬として、主人に忠誠を尽くしたという伝説がある。论文网
日本の伝説にも天狗という説法がある。日本の天狗は、すべて体つきが大きくて、僧服や下駄を履いて、両翼が持ち、顔が赤くて、鼻が長く、羽扇と宝槌を手に持つ怪しいものである。そして、通常、深山の中に居住して、人類が想像できない奇怪な超能力を持っていて、日本の妖怪の中の強い一種であると思われた。伝説によって、天狗は、森林の中の迷子を騙し取るということ。だから、古人は取られた子供を「神隠」と称する。「神隠」は、文字通りのように、神に隠される子供を指す。その後、天狗に関する伝説は、山岳信仰の宗教の中に溶け込まれた。鎌倉時代の『是害坊絵巻』の中では、天狗が、天台宗の僧侶と大規模の戦いを行って、最後、敗北したことを記載した。そのため、日本人は、天狗が怖いものだと思われていた。中国の天狗のイメージとまったく違うと言える。中国では、天狗と言えば、普通は、咆哮犬を連想する。咆哮犬は、二郎神が悪魔や妖怪を倒すことを助けることができるだけではなく、さらに月さえを飲み込むこともできる。それで、中国の天狗に比べて、日本の天狗のイメージはもっと悪いと言ってもいい。
2.2 犬のイメージ
中国の古代の部落は、犬をとても崇拝した。古代の「犬戎国」の部落のトーテムは犬である。しかし、中国の伝統文化の中で、犬は、だいたい卑しい地位に立っていた。酒席に犬肉が禁止されるという俗語さえあり、中国人が犬への蔑視が発見できる。また、ことわざ、成語、俗語、語彙から、民族が心理活動と価値判断が見える。たとえば、「狗仗人势」「甘效犬马」「丧家之犬」「狗狐群」「狗盗鸡鸣」などのことわざは、だいたい犬にマイナスのイメージを与える。しかし、時代の発展につれて、人々は犬への態度も次第に変化が発生して、犬は人類の生活の中での地位もますます重要になっている。犬のイメージはだいたい忠誠、プラス、積極などの方面を含む。来!自~751论-文|网www.751com.cn