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    「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。

    広田先生をめぐる集まりのなかでも、女の怖さはたびたび話題になっている。しかしこれは、東京に来たばかりの三四郎にとっては、余り早すぎる認識ではないのかと思う。ここでは、結論が先取りされていて、あたかも倒叙形式の推理小説のように、「女は怖い」という「犯人」が始めに示され、後はただその証拠集めをしているに過ぎない。よって、三四郎は美禰子に恋するとほぼ同時に彼女を警戒しているのである。美禰子の誘惑めいた振る舞いに三四郎が応じないのは、ただ鈍いからではなく、「女」に対する余りに早すぎる警戒のゆえなのではないのか。前に引いた、与次郎三四郎の会話には、次のような続きがある。

    すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。

    「知りもしないくせに。知りもしないくせに」

    三四郎は憮然としていた。

    与次郎はここで、男たちの共同体を代表し、三四郎に始めから結論を与えている。三四郎は、「女は怖い」という与次郎の言葉を繰り返しただけのだが、与次郎はこれをあざ笑う。恐らくここには、三四郎が肉体的に「女を知らない」という含意が込められているはずだが、与次郎がそうした差意を暗に指摘して自分の優越を誇示しているにもかかわらず、与次郎が発する言葉も三四郎の言葉も「女は怖い」という陳腐なものに過ぎない。三四郎は、彼より年上の、あるいは経験豊富な男たちの共同体が取り交わす「女に気をつけろ」という女性嫌悪の言説のただなかに放り込まれ、性急に受け取っていくのである。これこそ、女性嫌悪の構造なのだ。

    また、それのみならず、三四郎の「自惚」とも「エゴイズム」とも女性嫌悪とつながる。小谷野敦(1995)は恋愛の主導権は美禰子に握られていると指摘した。なぜなら、それは美禰子が「新しい女」だからではなく、三四郎が江戸的な意識のなかにあって自ら主導権を握ろうとしていないからなのである。以下は女性嫌悪について小谷氏なりの考えかたである。

    三四郎はまさに「エゴイスト」であり、自分は自尊心を含めて何一つ犠牲にしようとせず、美禰子が向こうから「ほれて」くれるのを待っている。江戸文芸、ことに都市としての「江戸」を中心として生まれ育った後期江戸文芸のなかでは、助六にせよ『梅暦』の丹次郎にせよ、女に「惚れられる」ことが男の価値であり、当然そこでは、男が一人の女に身を捧げるという考え方は出てこない。三四郎もこうした意識のなかで、美禰子に惚れて苦しむのではなく、美禰子に惚れられたいと思って悩むのである。

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