人間性はいままですっと複雑な問題であると言われている。しかし複雑だからこそ研究する価値がある。神の人間性の研究価値はより高い。どんな神話でもすべて想像力を借りて自然を征服し、支配し、そして自然の力を支配し、その力をイメージ化する。そして、自然の力を人格化することで、最初の神が生まれた。以上の考慮に基づき、『古事記』をテキストに、神明の行為を調べ、そしてある行為や言語からある神はどのような感情を表し、どのような人間性が持っているかを分析する。そして、中国の道教、儒教などの宗教の人間性思想との関連や、神自身から違う面の人間性を探求してみたいと思う。
1.1 先行研究
筆者の知っている限りでは、これまで、日本神話については、いくつかの先行研究がある。国外では、日本神話と神についての研究が少なくない。
例えば、吉田敦彦(1986)は『神話の考古学』という著作で、日本の神話を全世界のさまざまの神話と比べて、神話の起源と神の世界を探求した。
国田俊雄(2013)は『古事記を読み取る:神々にみる人間性』という文書の中で、『古事記』を研究し、神々にみる人間性をマイナス面とプラス面に分けて分析した。
近年、中国の学者も『古事記』について多くの研究を始めた。
张蕾(2012)は『日中神話における女神イメージについての比較研究』という論文で、「『古事記』は天照大御神の深情け、気短さ、素直さ、根暗さを一つずつ世間の人前に現し、生き生きとした人物像を作成した。このことで、天照大御神はお高くとまって、大衆から遊離している感じを与えることではなく、普通の人間のようにさまざまな感情や欲望、そして愛憎を持ち、親しみを感じさせる」という観点を示している。
葛慧玲(2012)『「古事記」における英雄像――建速須佐男命像、大国主神像と倭建命像を中心に』という論文の中で、「古代日本人は愛と性に非常に寛容と自由の態度を取っていたことは『古事記』の神明英雄記述からはっきり見られる。『古事記』における神明英雄像の描写は、愛と性を主題として、日本人独特の色好みの美意識を現している。世界の国々の神話においてよく見られる善と悪の対立、正統と異端の対立は日本神話の場合では曖昧である。その点は、神と英雄に明白に表れている」という論点を出している。