動物は人間の生活の中で、人間の友達の役割を担当している。そんな長い歴史の中で、動物が物質と精神両方面から人間に大きな影響を与えた。人間も動物に対し、いろいろな認識やイメージを持ってきた。人間が自分の豊かな想像力を生かして、動物をことわざに入れた。その上、人間が発展しているうちに、動物に関することわざがいっぱい湧いてきった。こんな色彩が濃いことわざを研究するのは、文化研究にとっても、言語研究にとっても、非常に有意義である。本論文は動物に関することわざの表現を窓口にして、中国と日本の文化や特徴の異動を比べるつもりである。
2 序論
2.1 研究の目的と方法
ことわざの最大の特徴は、理屈抜きで人を納得させ、従わせることができる点である。それぞれの国や地域には、自分の民族的地域的独特な文化があるので、ことわざは民族の貴重な宝庫として、その文化を描いている。したがって、ことわざの研究はその民族の歴史文化と風習の理解に役立つ。日本と中国はいずれも長い歴史を持つ国である。各国の環境や、歴史的な背景、文化的な背景、宗教への信仰及び、生活習慣などが違うので、各国のことわざにはそれぞれの民族的特色が反映されているといえよう。
ネコは人間のペットとして、それを飼う人に可愛がられている。人々は自身だけの情感を表現することが嫌いなので、自分に親しい動物を借りて、婉曲的にことわざを作る。動物は我々人類の誕生のときから、人間ときわめて密接な関係のある存在で、我々人間の知恵の結晶でもある。ことわざには動物に関するものが極めて多い。また、ネコは人間の目にいろいろなイメージとして映る。例えば、かわいいとか、おとなしいとか、すばしっこいとか、或いは悪いイメージ、怠け者とか、悪賢いとか、舌が肥えているとかなどである。
その例として、日本語の「ネコは三年の恩を三日で忘れる」、中国語のことわざ「猫哭耗子假慈悲」、などはネコの多面性を表している。本稿では中日両国のネコについてのことわざから着手して、両国の国民のネコに対する認識を中心に、ネコの性格の違いをまとめたい。それを通して、中日の互いの文化理解に役たてたい。
本論文では、まず『動植物ことわざ辞典』、『英語のことわざ』と『中国慣用語大全』などで中日のネコにかかわることわざを逐一に抜き出して原始的資料とした。そして、中日の「ネコ」に関することわざの辞書的意を分析し、修辞法とその善し悪し、ことわざの共通点と相違点を表の形でまとめた。最後は中日それぞれの国の人々の目に映ったネコのイメージについて考察した。
2.2 先行研究
石井・岡部・久米(1996)は『異文化コミュニケーション』において、異文化コミュニケーションの基本概念と関係理論を紹介した上で、九章に分けて、異文化コミュニケーションの研究領域を述べた。石井.岡部.久米(1996)によると、異文化コミュニケーションの研究を通じ、自文化と様々な異文化の特性を客観的に把握し、相互理解のための方策を講じることが必要である。武田(1992)は『諺のレトリック』において、諺のレトリックについて、述べたが、外山(1962)は『ことわざの理論』において、主に諺の理論および用法について述べた。武田も外山も、言語学の面から、諺について研究した。劉紅艶(2008)は『日本的諺語文化』において、主に日本の諺と中国文化の関係について、紹介した。尾関(2004)は『諺に見るドイツ人の動物観』において、人間との関係の親しさや人間に対する益によって、動物を分類し、ドイツ人の動物観を論述した。張秀華(2004)は『日本文化中的猫情結及其文化折射』において、文化的な角度から、日本の猫文化の形成および影響を紹介した。相卓(2007)は日本語の動物に関する諺とその中国語訳文を対象に研究している。対照研究を通じ、中日両国の人の動物に対する意識の違いおよびその原因を明らかにするうえに、中日両国の考え方や価値観の異同をまとめ、それによって日本語学習者へのアドバイスを出したのである。以上に述べたように、相卓(2007)は主に比較文化の角度から、論じている。翻訳技法について、触れていない。しかも、日本語における猫に関する諺はよく猫という動物の特徴や性質などを利用し、比喩、擬人や対照などの修辞法を使い、人間の行為、物事の規律を暗示するものであるが、辞書に載った中国語訳文の場合は、修辞法を省略し、直接に人間の行為、人間の性質に翻訳している傾向がある。これも具体的に考えなければならないと思う。中国で、中日と中英の間のことわざを研究した論文は極めて多い。『日語学習与研究』という雑誌だけで、いろいろなことわざについての論文が掲載されている。例えば、「日漢成語中動物形象的比較」という論文は動物のことわざから書いた日本と中国の文化差異についてを詳しく述べている。どの国にも自分の六感で感じた動物に対する印象がある。例えば、必死の覚悟をすれば、弱者も往々にして強者を苦しめることがあるという意を日本語では「窮鼠猫をかむ」と表現するのに対して、中国語では「狗急跳墙」と表現する。それはそれぞれの国や言語表現において動物に対するイメージが違うからであろう。源`自,751`.论"文|网[www.751com.cn