「本音」と「建前」は、大和民族特有の表現文化である。「建前」は「原則として」とか、「表向きには」という意である。公的な立場からの見解について述べる時などに使われる。それに対して、「本音」というのは、その人の本当の気持ちである。両者の間のギャップは、時には天と地の差があると言っても決して過言ではない。
日本人の日常生活に、率直より遠慮を好み、人の長所、美点を言う傾向があり、ビジネスの場合も特有な交渉術を持っている。以心伝心、「縮小」文化と情緒文化は日本語を芸術化して、「本音」と「建前」もその中に溶け合って、一種の芸術になってきた。日本の国語学者森田良行氏は次のように指摘している。「言葉はそれを生み出した社会的文化であり、文化的視点を離れて言葉を考えることは生きた本当の言葉を眺めることにはならないであろう」(日本語の視点)と。では、どのような日本文化が日本特有の本音と建前を作り出したのか。ここでは、島国の農耕文化、「和」の文化、集団主義(ウチとソトに関する意識)の三つにまとめてみる。こういうような独特な文化があるからこそ、 日本語の独特な魅力が孕み出されたと思う。
2 本音と建前の表現
2.1 本音、建前とは何か
「理念的な文化と制度的な文化、規範的な行动と現実的な行动との対照をさしている」という定义の如く、建前と本音は外延が広くて概念的把握は困難な一面を有する。関連する用语として一般的に、本音は「なかみ?内面?本性?腹の底?楽屋裏?私情?つぶやき?个人的?自由?内実」が挙げられ、建前は「うわべ?表面?きれいごと?大义名分?看板?正论?挂け声?公式的?不自由?理屈」が挙げられ、それぞれイメージ的のように捉えられるようである。本音と建前のイメージで学生の自由記述を見ると、本音関连の言葉としては、「本心、本当の気持ち、主張、感情、包み隠さず話す、率直、正直、誠実、隠し立てなく、无防备、不慎重、自分勝手、わがまま、自己中心、即物的欲望、感情の短絡的な表れ、ぶっちゃけ」などが含まれるが、本音の本質を表すキーワードを挙げてもらうと、「正直」などの肯定的な言葉は46%、「エゴ」などの否定的な言葉は38%、その他は19%という割合で、賛否が混在しながらも、本音への肯定的な见方がやや優勢を保っている。
2.1.1本音のデメリットと建前のデメリット
后述するように、本音と建前の使い分けに困難を感じる学生がいる。そのせいか、学生の記述には、「本音ばかり口にする人の周りには间违いなく敌が多く、建前ばかりの人の周りには敌は少なくても、その人を心から信用している人はいない」というように、本音と建前とりわけ建前の逆効果いわばデメリットに関する意见が多い。これは上述した建前への否定的な見方とつながっているものと考えられよう。
本音のデメリットに関しては、「本音ばかりだと、『自分はこうしたい!』という勝手な言い分や行為で、世の中は崩れていくのではないか」、「本音は、人を不安にさせたり、傷つけたりする」というように、人間関系の維持に支障を来たすという点に意見が集中している。
対照的に、建前のデメリットについては、「友達同士で話すをする时に本音を言わずに気を使ってばっかりだとお互いに疲れてしまい、すぐに会話が途切れてしまう」、「建前ばかりを気にしていては、物事はあまり進歩しないのではないか」というようなコミュニケーションの妨げになるという意见と并んで 「建前という『壁』が存在してしまうと深い仲にはなれないと思う」、「建前だけで本音がなければ、打算的で希薄な人间関系になってしまう」というように、人間関系構築の妨げを指摘する意见も多い。さらに、「建前というものは怖いという思いを持った。裏でどんなことがあろうとも、その人がどのような思いであろうとも、建前という二文字で何事も無かったかのように人前で、振舞うことが出来るからである」という建前に覚える不信感や恐怖感、「全員が内心とは异なる仮面をつけて、相手の言葉の下にある感情を伺いながら过ごすような社会は一见、他人との冲突も少なく、平和に思えるが、同时に大変窮屈に感じるのである」という建前社会の退屈さも訴えられ、建前への否定的意见は多様で突出している。 日语论文关于日语的真心话与场面话(2):http://www.751com.cn/yingyu/lunwen_15270.html