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    禅という字は、梵語の禅那(dhyāna)から由来しているが、禅思想の根源をなすものは、大乗仏教の思想である。「禅」という概念は、インドにその起源を持ち、それが指す瞑想体験は、仏教が成立した時から重要な意義が与えられていた。ゴータマ・シッダッタも禅定によって悟りを開いたとされ、部派仏教においては「三学」(戒・定・慧)の一つとして、また、大乗仏教においては「六波羅蜜」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきた。
    南インド出身で中国にわたった達磨は、坐禅を基本的な修行形態とする仏教の修行法を中国に伝えた。ただし、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期からである。
    唐時代に中国禅宗(南宗)の第六祖慧能(638〜713)が東山の五祖弘忍の跡継ぎとして認められた。慧能が弘忍の法を受け継いで本貫の広州に帰り、禅の思想をひろまり、「頓悟」を中心にする南宗と成立する 。歴史的には慧能の南宗が禅宗の主流になったため、今では慧能が祖師禅(南宗禅)の創始者と考えられ六祖慧能と呼ばれている。
    六祖慧能(638〜713)の弟子に当たる南岳懐譲の弟子馬祖道一(709〜788)が禅宗五家七宗の基礎を築いたといわれる偉大な禅匠である。彼は衡山の南嶽懐譲を訪ね、その法嗣となった。その後、洪州開元寺(江西省)に住んだが、四方の学者が雲集したため、中国禅の黄金時代が出現した。
    北周や会昌の廃仏はインド伝来の仏教と中国の固有宗教の衝突(宗教戦争)とも言える。しかし、廃仏は禅宗の興隆という意外な効果をもたらした。
    廃仏の時僧を止め、還俗するのが嫌な人達は皆山に逃げた。山の中には経典もなければ住む家もない。落ち着いて経典の研究もできないから、大樹の下や石の上で坐禅するしか無い。これが禅宗を興隆させる社会的条件になったと考えられている。
    また禅宗の祖師達も廃仏の経験に基づいて中国固有の文化と衝突しないような形で彼らの禅思想を発展させたと考えられる。禅思想には中国の伝統思想、特に老荘思想の影響が著しい。
    また宋代以降の禅は中国の道教・儒教との融合が著しいこともこのためだと考えられている。
    唐代から宋代にかけて禅宗が興隆を極めたのも事実である。その時、「五家七宗」(ごけしちしゅう)という概念が生まれた。いわゆる、臨済宗・潙仰宗・雲門宗・曹洞宗・法眼宗を「五家」、「禅宗五家」と呼称し、北宋時代になって臨済宗から分れた黄竜派と楊岐派を合わせて「七宗」と呼称する。それらを併称して「五家七宗」と呼称する。
    中国の禅宗はインド仏教の限りない仏法の問題を排除し、奥深い道理を簡略化し、厭世卑下の生活と苦行の苦痛の追求を否定して、「仏我一如」の源を探索する。 韓國、日本そして東南アジアの国々にも広まっている 。
    1.1.2日本への伝来
    古来、中日両国は一衣帯水の隣国であり、長年風俗や文化の交流が続けられている。9世紀(平安時代前期)に皇太后橘嘉智子に招かれて唐の禅僧・義空が来日して檀林寺で禅の講義が行われたものの、当時の日本における禅への関心の低さに失望して数年で唐へ帰国したとする記録も残っているが、公式に日本に伝えられた時は13世紀(鎌倉時代)とされている。
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