2 王羲之の人と書
王義之の生没は二つの説がある。一つは王義之が永嘉元年(西歴三O七)に生まれ、興寧三年(西歴三六五)に没したとするものである。 もう一つは彼が太安二年(西歴三O三)に生まれ、昇平五年に没したとするものである。 この二つの説には差異があるが、いずれも王義之が五十九歳で没したとする。本論は前説による。
もっとも、王羲之の書はすべて皇帝たちの墓の副葬品にされてしまい、真跡は見つかっていない。現在伝わっているのは、唐太宗が唐の三大家である欧陽詢、虞世南と緒遂良などに臨書や模させたものである。しかしながら、王義之の真跡が見つかっていないために、唐の時代の王義之の書の精緻拓本がかねてから真跡と同じように見られている。本論の王義之の書についての研究も王義之の書の精緻な拓本による。