3. 物事への好き嫌い
3.1 女性嫌悪
中国の名著『紅楼夢』の主人公賈宝玉は、「女は水から造られたもので、男は泥から造られたものだ」と言っている。すなわち、男性より女性の方が、清らかで清浄なものだという見解である。確かに、女性は男性より体を清めることなどを重視すると思われるので、女性の方が男性より清浄だと言っても過言ではないはずである。さらに、古今東西の女性の体を美しい芸術品として賛美した人も枚挙にいとまがない。
しかし、「女生徒」の主人公にとって女性は、不潔で雌の体臭が発散しているものであり、自分が女性だとしても深い女性嫌悪がある。
朝の電車で「子供背負ってねんねこ着ているおばさん」を見たとき、彼女は隠さずに自分の嫌悪を告白した。「おばさんは、年寄りのくせに厚化粧をして、髪を流行まきにしている。顔は綺麗なのだけれど、のどの所に皺が黒く寄っていて、あさましく、ぶってやりたいほど厭だった」と(注5、p31)、なんとなく少女にはふさわしくない辛751な口調である。しかしここまでは、ただ見掛けの悪いものが嫌いという少女の通弊なのではないかと思われがちかもしれないが、次の場面では主人公の女性嫌悪をはっきり明かされている。
バスの中で、いやな女の人を見た。襟のよごれた着物を着て、もじゃもじゃの赤い髪を櫛一本に巻きつけている、手も足もきたない、それに男か女か、わからない様な、むっとした赤黒い顔をしている。それに、ああ、胸がむかむかする。その女は、大きいおなかをしているのだ。ときどき、ひとりで、にやにや笑っている。雌鶏。(注6、p30)
同じ見掛けの悪い女だったが、今回は辛751どころか、悪751とも言えるほどだ。そして彼女は、「ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。金魚をいじってあとの、あのたまらない生臭さが、自分のからだ一ぱいにしみついているようで、洗っても洗っても、落ちないようで、こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また、思い当たることもあるので、いっそこのまま、少女のままに死にたくなる。」(注7、p39)
以上の様々な観点や論述を読んだ結果、これまで見られなかった完全な「理想の少女像」にさらに関心を持つようになった。このため、これからは学者らの見解を整理し、独自の意見を加えて「太宰の望む少女像」をまとめていきたい。
3. 物事への好き嫌い
3.1 女性嫌悪
中国の名著『紅楼夢』の主人公賈宝玉は、「女は水から造られたもので、男は泥から造られたものだ」と言っている。すなわち、男性より女性の方が、清らかで清浄なものだという見解である。確かに、女性は男性より体を清めることなどを重視すると思われるので、女性の方が男性より清浄だと言っても過言ではないはずである。さらに、古今東西の女性の体を美しい芸術品として賛美した人も枚挙にいとまがない。
しかし、「女生徒」の主人公にとって女性は、不潔で雌の体臭が発散しているものであり、自分が女性だとしても深い女性嫌悪がある。
朝の電車で「子供背負ってねんねこ着ているおばさん」を見たとき、彼女は隠さずに自分の嫌悪を告白した。「おばさんは、年寄りのくせに厚化粧をして、髪を流行まきにしている。顔は綺麗なのだけれど、のどの所に皺が黒く寄っていて、あさましく、ぶってやりたいほど厭だった」と(注5、p31)、なんとなく少女にはふさわしくない辛751な口調である。しかしここまでは、ただ見掛けの悪いものが嫌いという少女の通弊なのではないかと思われがちかもしれないが、次の場面では主人公の女性嫌悪をはっきり明かされている。