A.表現で取り上げられているのは動作主の意図した動作の実現ではなく、動作主の動作によって実現しようとするある事態の成立である。
B.動作主の意図した事態が動作主の思い通りに成立するか否かに関する判断はあくまでも動作主の動作が行なわれた後という視点からなされるものであり、つまり、無標の可能表現においては動作の結果が特に注目され、動作が行なわれた後、結果的に動作主の意図した事態が果たして実現できるかできないかに関する判断がこの種類の可能表現の表す意である。
また、張(1992)は「『可能表現の本質』考 - 無標の可能表現へのアプローチ-」という文の中で意志概念三要素の概念を導入しており、可能表現の根底には、必ず意図性があると指摘している。
王(2011)は、有対自他動詞の可能表現の使い分けについて、自動詞は自然、客観的な視点から物事を表現するの対し、その対応する他動詞の可能形は強い意志、願望の意を表現するとまとめている。
楠本(2009)は、無標識可能に関わる学習者の誤用の起因を出発点とし、日本語の無意志動詞による可能表現について考察した。そして、無標識の可能表現には意構造において被動性及び再帰性が認められることを主張している。また、日本語は動作より結果の側から事態を捉える傾向があり、特に被動的事態においては結果性が優先されるので、可能を他動詞的事態と捉え、実現の可否のみで可能形態を表す言語とは大きく違うと指摘している。さらに、外国語教育における日本語学習者の誤用の原因は、知識不足、規則過剰般化、母語の干渉などの他には、日本語における被動の場合は結果状態が優先されると意識されないことでもあると分析している。
中国語を母語とする学習者を対象に、封(2005) が江蘇省で調査を実施した結果、学習者の有対自他動詞の可能表現に関する誤用が非常に目立つことが分かった。「機械的に動詞の可能形を覚えさせるだけではなく、文の持つ意によって、可能形にできない動詞もあるということに初級の段階で気づかせることが重要である」と指摘している。
本稿では、有対自動詞の無標識可能表現と有対他動詞の有標識可能表現とを考察の対象とし、先行研究を踏まえ、コーパスを利用し、動詞の意志性の観点から有対自他動詞の可能表現を考察する。考察方法としては、それぞれの使い分けを明らかにする上で、杭州師範大学日本語学部の学生を対象に、有対自他動詞の可能表現の使用実態を調査し、中国語を母語とする日本語学習者の習得状況を究明し、より効率的な指導法を考えることにする。
第二章 有対自他動詞の可能表現
本章において、動詞の意志性から有対自他動詞の可能表現を考察する。更に、有対自動詞の無標識可能表現と有対他動詞の有標識可能表現を比較し、その特徴を明らかにする。
2.1動詞の意志性からみる可能表現
日本語における可能の表現形式と共起する動詞の特徴には、「意志性」という要因が関わっていると考えられる。意志は有情物の意志によって左右することのできる動作である。
動詞は意志性の有無によって、意志動詞と非意志動詞に大別される。意志動詞とは、誘いがけ形と命令形を本来の意で用いることのできる動詞であるのに対して、非意志動詞とは、その意で用いることのできない動詞である。意志動詞は、単なる人間の意志的な動作を表す。無意志動詞には、自然現象など非情物の動き・状態を表す動詞、人間の動作・心理的な現象を表す動詞、可能動詞などがある。