大学の時、大江健三郎はフランス文学を習ったことをきっかけに、欧米文学から大きな影響を受けたが、特にサルトルの実存主義思想の影響が最も深いのである。大江の文学には、実存主義思想が一貫して貫かれている。大江はサルトル、カミュらの実存主義思想を吸収し、戦後日本の実存主義文学を伝承する表現として、社会への強い参加意識と転換期にある日本の重大事件を文学に表した。
しかし、「脳障害がある息子が生まれた後、サルトルから習ったことも役に立たなかったため、フランスの人道主義を改めて習い、心の世界や精神的な生活を改めて築かなければならなかった」と大江は述べている。1脳障害のある息子が生まれたという「個人的な体験」をした後、大江は障害児や被爆者などの弱者層に目を向け、同情を示している。その感情が後の『個人的な体験』と『ヒロシマ・ノート』などの文学で窺える。
1994年、59歳の大江健三郎は『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』で、ノーベル文学賞を受賞した。「大江健三郎は詩の力を頼りに、想像の世界を創造して、またその世界の中で生命と神話を結びつけ、現代人の戸惑いと不安さを描き出しました。ですから、大江健三郎にノーベル文学賞を授けるということを決めました」と、スウェーデン王立科学アカデミーは公布した。
ノーベル文学賞ブームの状況下で、『個人的な体験』を研究した者は多くなった。『個人的な体験』と『ヒロシマ・ノート』は異なる題材や文体を持っているが、同期の作品で、二作の間には何らかの関係があるようである。ある研究者も『ヒロシマ・ノート』,源^自#751:文,论/文]网[www.751com.cnと『個人的な体験』をめぐって、様々な視点から自分の感想を述べ、研究結果を発表した。本論文では、筆者は作中人物の視点から、大江の実際の生活を背景にし、『個人的な体験』と『ヒロシマ・ノート』の分析を考えている。これにより、多少大江健三郎文学研究に役立てば幸いである。
2.先行研究
2.1 実存主義から
ある時期、大江はサルトルの文学に非常に夢中になっていた。「私はサルトルの文学を読んだ後、文学の専攻を選んだ。さらに、サルトルに関する文章を書いてフランス文学系から卒業したんだ。だから、私はサルトルの影の下で青春の前半を送ったんだ。」という話をしたことまである。2従って、大部分の研究者は実存主義の視点から、『個人的な体験』と『ヒロシマ・ノート』を研究している。
サルトルの実存主義哲学には三つの原則が含まれている。第一は、実存は本質に先立つということである。第二は、世界が不条理で、人生がつらいということである。第三は、選択は自由であるということである。
王中忱(2011)は、「『個人的な体験』の中では、主人公・鳥は火見子とともに実存主義者で、いわゆる「アンチヒーロー」という役割である。また、鳥が自分の運命から逃げて退却した意識、火見子が自発的に封じ込めている意識と自分を慰めようという夢物語、それは、サルトルとカミュを代表としている欧米から現代的な実存主義の影響を受けたという現象を反映した。」と述べている。3しかし、大江健三郎は、現実を批判するサルトルの実存主義の精神だけではなく、サルトルのように文学を社会と結び付けるという観念も受け継いだ。張晓晖 (2011)は、『個人的な体験』の中で、大江はサルトルの実存主義を完璧に受け継ぎ、また、その作品において日本社会と、ひいては人類の生存との繋がりが実現できた、と述べている。4その一方、『ヒロシマ・ノート』でも実存主義を貫き、その中では、原子爆弾が広島に与えた苦難や延々と続いてきたつらさを、生き生きと描き出した。王奮擧(2013)によると、大江はサルトル、カミュらの実存主義思想を吸収し、戦後日本の実存主義文学を伝承する表現として、強い社会参加意識と転換期にある日本の重大事件を文学で表した。5
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