安楽死反対説は、人間には自己の生命を処分する権利がない、と強調する。
孟祥虎によれば命は、社会的利益および国家的利益と密接に関係しており、個人に自己の生命を意のままに処分することは許されてはならず、国家および社会の利益の保護という見地から、安楽死の合法化を提唱してならないのである[18]。
趙鵬から、難病との闘いの中でのみ発展するのであり、安楽死は、そうした発展を阻害してしまうのである。より多くの生命を救い、医学を発展させるためには、安楽死を合法化しないほうがよい、とされる。日本において、安楽死をめぐる学説の論争は、主に積極的安楽死に集中している[19]。
小野清一郎博士の見解は、人道主義的な立場は、「生命の尊重を鉄則として認めつつ、例外的な場合として、人道的な同情惻隠から座視するに忍びない安楽死を肯定しようとする」ものである。
死因転換論の主唱者である瀧川博士によれば、「安死術の問題を論ずるには、その行われる状態を明らかにする必要がある。第 1 は、死が確実なこと、第 2 は、苦しみの多い死であること、この 2 つが条件となる。死の迫っている場合には、苦痛のない点でまさっている他の死因をもって、現在の死因とおきかえる以外に道はない。これは法的意の殺人行為ではなく、避けることのできない死因の転換である。実は純然たる治療行為である。……安死術は合法である」[5]。
自己決定権を実質的な根拠として安楽死の適法性を論じているのが、町野朔教授である。
佐伯千仭博士は、安楽死は違法であるが、期待可能性がない超法規的責任阻却事由として理解すべきであるとされる[6]。
2 安楽死及びその概要
安楽死とは、末期など「不治」かつ「末期」で「耐えがたい苦痛」を伴う疾患の患者の求めに応じ、医師などが積極的あるいは消極的手段によって死に至らしめること。そして、安楽死は大別すると次の2つに分類される[2]。
「消極的安楽死」・・・延命治療を中止した結果、患者の死期を早める安楽死。
消極的安楽死に関しては、延命治療を拒否する自己決定権の適法であるとされている。