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    2.2 信長の経済政策の先見性
     信長は、当時としては革新的な改革を行ったのだが、周辺の諸大名の勢力や公家勢力の板挟みのため中世権力を 否定していたものの、それを破壊することはできなかったのである。中世権力に対する考え方が信長と諸戦国大名とではどのように違っていたのかを考えていきたいと思う。信長は、中世権力を天下統一の妨げになるものとして廃除すべきだと考えていたのに対して、他の戦国大名はその権力を そのままにして天下統一を目指したということが大きな違いである。経済政策においても、目先の利益を求めなかった信長に対して、他の戦国大名は年貢を中心とした直接的な利益 を求めたのである。
     信長の行った楽市楽座も、当時の常識からすれば、領国内に他国の人間を簡単に入れてしまうとは信長はうつけであるというようにしか写らなかったであろう。更に近年では中世日本の都市を中世西欧の自由都市と比較しようとして、楽市・楽座そのものを過大評価しているとする批判もある。そもそも楽市自体が城下町や領内の主要都市に商人を集めるための政策であり、大名がこうした地域に対して何らかの統制を意図しなかったとは考えられないというものである。また、一見して商人による自治を認めながら、実際にはその自治の責任者の地位にいるのは大名の御用商人や被官関係を結んで商人司など大名が定めた役職に任じられたものであり、商人司を通じて大名の経済政策に沿った方針が浸透していたと言われている。いずれにせよ、信長の中世権力に対する考え方や先見性により、楽市楽座令をはじめとした経済政策が行われたといえるのである。
     関所の撤廃のことは信長にとっても例外ではなかった。信長は、上洛して京都をおさえ、軍勢を動かし、物資を補給するのに流通の自由は必要だと考えていた。また、関所を設けていたのは公家、寺社、土豪などで、織田政権ではなかった。そういった理由から、信長は関所の撤廃を行ったのである。この信長の関所の撤廃は、自身が行った道路の整備と相まって、交通運行がさらに便利になり、庶民の生活が安定するといった効果があった。京都の率分関は京都へ入る通路に設けられる関所入口で皇室と公家にとっては重要な収入源であった。室町幕府は京都の七口を率分関として皇室と公家の一部の生活費を賄っていたが、幕府の権威が落ちるにともない、率分関の収入が不安定になったが、信長は入洛してから、それを改めて安堵した。
     しかし、信長は人が集まり、物資が安く大量に仕入れられることや他国の情報が集まり戦 いが有利になるといったことまで考えていたのである。こうした信長の先見性は、他にもいろいろとみられる。当時ではまだ普及していなかった鉄砲を重要視したことやフロイスと接見してヨーロッパの政治経済,戦術に関心をもつなどからもみられるのである。
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