(1)去年の春からはじまった「東西文明論」は、ようやく本格的な部分に入ってきたが、いま一つ盛りあがらない。(『化身』)
(2)その中で、大衆社会は次第に情報のレベルを上げ、いまや「知的大衆」が主導権を握る「知衆化社会」となった。(『「生活大国」宣言』)
例(1)の「いま」と例(2)の「いまや」は中国語に訳すとどちらも「現在」に訳せるので、多くの学習者は両方が互いに取り替えることが出来ると考えてしまいがちである。
(3)殷軍敗北を示唆する兆候はいささかも見え『ない。 ―ふむ。いまに大騒ぎになろう。帝紂は、自分の佇む台下に火のあるのを視た。(『大公望』)
(4)「そうだ。わたしはアブノーマルだ」ドジソンが大声で叫んだ。いまにも嘘発見器から体をもぎ離して、椅子から立ちあがろうとしているようだった。(『影の帝国を撃て』)
また、例(3)と例(4)の「いまに」と「いまにも」は両方とも未来を表すことができるから、よく中国語の“就要”に訳されるから、中国人学習者によっては区別しにくい問題である。、
(5)わたしの一言一句が、いまやヴァンストン家の二人の令嬢の将来の、いまだ未確定`751*文+论]文|网\www.751com.cnの利害に重大な関係を持っているのですから。(『ウィルキー・コリンズ傑作選』)
(6)だから、これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えないんだ。(『人間の歴史を考える』)
同じことは例(5)と(6)からも観察できる。例(5)と(6)に用いられている「いまだ」と「いまだに」は両方とも継続を表すため、よく中国語の“仍旧、还”などに訳され、両者にはどのような違いが存在するのか問題もなかなかうまく把握されない。
以上のように、類義時間副詞は形も意も近いため、ニュアンスや構成や使用効果论文网などから分析しないと、具体的なコンテクストでそれらの個性はうまく判明出来ないという事態に至るため、類義語の誤用がよく見られる。
そこで、本論文では「いま、いまに、いまにも、いまや、いまだに、いまだ」という一連の意が近く、形が似ている義類時間副詞を中心に、「いま、いまや」、「いまに、いまにも」、「いまだ、いまだに」という三グループに分けて研究する。具体的には現代日本語書き言葉均衡コーパスから例文を探し、文法的意、アスペクト、使い方、およびそれに対応する中国語表現などの面から分析し、対比することによって、それぞれの異同を考察することにしたい。
2. 「現在」を表す類義時間副詞の「いま」と「いまや」
現在を表す時間副詞とは、発話時または発話時の直前や直後の時点を含む広がりのある時間帯を表す時間副詞のことである。本章で扱っている「いま」と「いまや」は時間副詞として中国語に訳すと、共に“現在、如今”などに訳されるので、中国人学習者は常にどちらかを使っても意が通じると考えてしまう。そこで、本章では、「いま」と「いまや」のそれぞれの表現範囲や使い方を分析し、両者における異同を判明し、このグループの特徴を明らかにすることを試みる。