本論はマンホールの蓋をはじめ、その現象から縮み意識を探求し、その成因を簡単に分析する。それにより、日本人の細部まで及ぶ繊細な精神と都市建設の基本的姿勢を探る。
1.「マンホールの蓋」のあらまし
日本の「マンホールの蓋」は現在、公共施設の設備としてだけではなく、日本文化の一部として、町の名刺代わりになり、景観の一部として語られるようになった。
1.1「マンホールの蓋」の起源と発展
「マンホールの蓋」は元々英語の「manhole」から引用され、日本の多くの自治体ではその地域の名産や特色をモチーフにしているデザインマンホールが導入されている(色付きのものはカラーマンホールとも呼ばれる)。特に下水道関連のマンホールでは多種多様なデザインが見受けられる`751~文[论]文'网www.751com.cn。
下水道が最初に誕生したのは、メソポタミアや古代インドだとされる。バビロンやモヘンジョ・ダロなどの都市で下水道が造られていたという記録が残っている。その後はクレタ島や古代ローマなどでも整備され、徐々に各時代の文明地域に広がっていった。
ペストやコレラなどの大流行に伴い都市の衛生環境の改善が急務になると、欧米の主要都市にも下水道が敷設され、マンホールの蓋は暮らしに欠かせない町の風景の一部として定着するようになる。1850年代、摩擦力を増えるために、表面に起伏があるマンホールが登場した。论文网日本では、1980年代、当時の国家建築事務所の安武亀田が、はじめてデザインマンホールを設計する。80年代ごろから、国内の各自治体が独自にデザインしたカラフルなマンホールの蓋を相次いで設置し始めた。植物、動物、風景、建物、工芸品、スポーツから漫画まで種類は様々であった。現在では、これらの写真を収集したり、研究したりするマニアも増えている。マンホールの蓋の愛好家の間で「パイオニア」と仰がれているイラストレーターの林丈二は、画家の赤瀬川原平、建築家の藤森照信らと1986年に「路上観察学会」を立ち上げた著名文化人である。彼は、70年にマンホールの蓋に興を持ち、写真の収集・研究を始め、様々な写真集や書籍などを発行した。さらに珍しい蓋を求めて欧米にも足を伸ばしたことがある筋金入りのマニアである。
現在の日本全国の自治体の約95%は、オリジナルデザインのマンホールカバーを使用し、この日本以外の国ではあまり見られないマンホールカバーは、多くの外国人を魅了している。また、マンホールについてのホームページも数多くある。例えば、「マンホール写真館」、「近畿はをもしろく」、「日本マンホール蓋学会」などである。『全国マンホール写真集』では、日本全国(全ての区市町村を網羅している訳ではない)及びタイ、中国、韓国、イギリス、ドイツ、デンマーク、オーストリア、マレーシア、ロシア(これらの国も行った場所のみ)で撮られたマンホールの写真が掲載されている。また、下水道関係だけなく仕切弁、ガス、電気、電話、消火栓の蓋等マンホールの類の写真も掲載されている。その他、マンホール蓋のパネル写真展も数多く開催されている。一点一点に、城や旧跡にまつわる話を交えたデザインの解説があり、大変興深い展示である。また、下水道管の実物などが常設展示されており、住民の暮らしと下水道の関係を知る事ができる。