摘要日本人的「中国观」在长久的中日关系中经过了几次变迁。这些变化是随着两国社会结构的革新和变动以及国际关系框架的调整、国际秩序的重构而产生的。本文按照时间顺序,利用文献研究法,研究日本人的中国观在不同时期的变化和表现。日本人的中国观按照一定的规律性发生了不同的变化。对日本人的中国观的研究有利于更好了解日本人对中国人的态度,有利于今后两国关系朝着更好的方向发展。38330
毕业论文关键词: 日本人 中国观 历史的变迁
要旨日本人の「中国観」は長い中日関係の歴史の中で数回の変遷を経ている。それらの変遷はお互いの国内の社会構造の革新や変動、及び国際関係の枠組みの調整や秩序の再構築に伴って生じてきた。本文は時間順で、文献研究法を利用して日本人の中国観が異なる時期における変化と表現を研究する。日本人の中国観はある規律に従ってさまざまな変化がある。本稿は日本人の中国観の研究を通じて、われわれは日本人が中国人に対する態度についてさらに理解出き、また、それは両国の今後の関係がもっと良い方向へと発展できるようにと役立つだろう。
キーワード:日本人 中国観 歴史の変遷
目 次
1 はじめに 1
2 近代前の日本人の中国観 1
2.1平安時代における日本人の中国観 1
2.2室町時代における日本人の中国観 2
2.3江戸時代における日本人の中国観 3
3 近代の日本人の中国観 3
3.1明治維新初期における日本人の中国観 4
3.2日清戦争後の日本人の中国観 4
4 現代の日本人の中国観 5
4.1高度成長期における日本人の中国観 6
4.2冷戦後の日本人の中国観 6
5 おわりに 7
参考文献 7
謝辞 8
日本人の「中国観」の歴史の変遷について
1 はじめに
日本人の「中国観」は長い中日関係の歴史の中で数回の変遷を経ている。それらの変遷はお互いの国内の社会構造の革新や変動、及び国際関係の枠組みの調整や秩序の再構築に伴って生じてきた。そういう国内外の情況の変化によって、中日両国の人々は新しい価値観を基盤として相互認識が構築されている。その相互認識は文化や歴史を出発点として、最終的に自国の利益への認識と追求に帰するものである。日本人の中国観は、その変遷の各段階において、特に「現実主義」の価値志向と「国家利益優先」の原則がみられるのである。
2 近代前の日本人の中国観
近代前、日本人の中国観は主に数回の変化が発生した。平安時代前に、日本は基本的に朝貢をさせられる側にあり、日本人は中国に対して、崇敬と畏敬の感情を持っていた。しかし、平安時代になると、日本人の自意識がしだいに高まり、中華文明を超えようとした感情になった。また、室町時代、特に足利義満の時代に、中国に対する日本の認識に画期的な変化が起こった。その時、中日外交が再開され、足利義満は明王朝より冠服を受け取り明朝に従った。江戸時代になると、中国に対する日本人の観念も再び変わって、中日勘合貿易も終結した。
2.1平安時代における日本人の中国観
古くから、日本人は中国の文明を憧れ、絶えずに官僚や僧侶などを中国に派遣して、中国文明を勉強にきた。とくに、遣隋使・遣唐使は日本文明の進歩に大きな力を捧げてきた。しかし、中国文明の勉強に伴って、日本人の自意識がしだいに高まってきた。『隋書』の記述によると、大業3年〈607年)日本の国王が中国に使節を派遣した。その献上した国書の中に、「日出処の天子,書を日没するところの天子にいたす。恙なきや」と書かれており、皇帝をきわめ て不愉快にさせたとある。国書で用いられた言葉からは日本にとって中国は対等であるという意識が出てきたと見られる。このほかにも、日本はこの「華夷秩序」に挑戦すると同時に、自らの小さい「華夷秩序」を構築しようと試みていた。例えば、日本が朝鮮を「西藩」と呼んでいたことにはその優越感が見られる。その後、唐王朝の衰退に伴い、日本の中国に対する呼称は「隣国」 から「藩国」にも変わった。
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